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今日の旅ごはん 軍艦島と焼きめし

博多出張は金曜日だった
となると、当然翌日は休みなので、例によって小さな旅だ

日程が決まった直後からネットで押さえたのは
いつか必ず行くと決めていた、長崎の軍艦島クルーズ
3週間前にも関わらず、クルーズ各社(3社)の午前便はほぼ満席

帰りが遅くなるが仕方ない、午後の便を確保し
博多から長崎までの特急かもめももネット予約する

あとは、その日を待つばかり

あの島影に近づける
運が良ければ上陸も出来る

あの軍艦島へ


クルーズ乗船までの時間、市電に乗りオランダ坂を、ひとりふらり
お目当ての長崎ちゃんぽんの老舗は、開店前から(満席)表示

がっくり肩を落とすと、大浦天主堂へと坂道を歩く

確か14歳の頃だ、一度この坂を歩いたことがある
あのときは、こんなに海が近いなんて気付かなかったな

思いの外小さな印象の中華街を散策する
秋の長崎は、街中が暖かな陽射しにつつまれていた

そんな風に長崎の街を楽しむと、いよいよ港へ

200人満席のクルーズ船は、秋の陽射しの中、ゆっくりと出発
意外なほど、ちゃんとしたアナウンスで、船から望む景色が紹介される

三菱造船ジャイアント・カンチレバークレーン
小菅修船場跡(ソロバンドック)
三菱重工百万トンドック

長崎港に、こんなにも世界文化遺産があったとは

今も稼動する巨大クレーンを眺めながら、次々に紹介される
産業革命を支えた重機たちに、世界の海を制した造船港の歴史を思う
 
伊王島大橋を潜り、外海へ出ると、今までののどかなクルーズから
荒波の航海へと様相が一変する

その荒れる波の彼方、見えた
正式名は、端島、通称「軍艦島」だ

高校生の頃大好きだった劇画(今では死語)雑誌で読んだ物語
学生運動のリーダーが仲間たちに裏切られ、逃走の果てにこの島へ流れ着く

身分を隠し、炭鉱夫となり、島の生活に紛れるが
最後は、彼を追いかけてきた女性にも裏切られ、元の仲間たちに総括され・・・

そのストーリーよりも、描かれていた島と、その生活
労働者たち、家族、流れ者、そんな情景が何故かずっと記憶に残っていた

2000年以降、インターネットの普及もあって、様々な廃墟写真がブームとなり
この島についても、溢れるほどの情報が入手出来るようになった
そして2006年、ある写真集が発刊される

  『1972 青春軍艦島』

写真家である大橋弘氏が20代の頃、1972年から73年にかけての半年間
炭坑の下請け労働者として軍艦島で働いたときの1,000カットのネガ
それを32年ぶりに画像にし、公開したものだ

世界一の人口密度、絶海の孤島、緑なき島
そんな厳しい環境と過酷な労働の中で生活する人々

そのワンカット毎の、生き生きとした表情は
まるで重厚な群像劇を鑑賞しているかのよう魅せられた

その写真集を手にした頃、まさかこの島へ近づけるなんて
それどころか、上陸出来るだなんて、想像すら付かなかった


ドルフィン桟橋から上陸し、第一見学広場から、第三見学広場まで
廃墟と化した建屋には近付けないよう、島の南端を小一時間ほど往復する

かつてこの島の住民だったガイドさんの話も上の空
 
透き通った秋空と、ただじっと佇む廃墟
その不思議な空間と時間は、現実離れし過ぎていて

言うなれば、憧れてたピークに、絶好のコンディションで立てたかのような
そんな大きな非現実感と、少しの充実感に浸りきっていた
 

最後の第三見学広場、その目の前に建つのは事前に調べていた通り
日本初の鉄筋コンクリート住宅である、軍艦島三〇号棟だ

   軍艦島三〇号棟一階。ここが私の部屋だった。
   『1972 青春軍艦島』は、この一行から始まる

20代の青年が、憧れているカメラマンに自分はなれるのだろうか?
葛藤しながらも東京から原付バイクで長崎まで放浪し
そして流れ着いた、この炭鉱の島、このアパートで生きていた


1972 青春
 
物言わぬ廃墟から、ふっと、あの群像の気配が蘇るのを待つが
澄んだ空の下、ただただ沈黙の時が流れていた

長崎ちゃんぽんを食べ損ね、空腹のまま特急かもめで博多へ戻ると
これまた営業のB級グルメ部長から仕入れたネタである
福岡でいちばん美味い焼きめし、炒飯ではない、焼きめしを求めて街へ

小さな通りにある、どこにでもある街の中華料理屋さん
そこでは、ほとんどの客が、焼きめしをオーダーするとのこと


さっそく、やきめしをお願いすると、すでに店のおやじさん
大なべをふるって、やきめしを作ってる、と言うか作り続けている
それほど人気なんだ、こりゃ期待できそうだな

やって来たヒトサラは、米粒ひとつひとつが輝いていて
色合いも美しい、理想の炒飯、いや、焼きめしだ

 あぁ、やられたな

一口スプーンですくうと、思わずひとりごとが漏れた
それほど美味しいのだ、さすが、あの部長が福岡で一番って言うワケだ

一口々味わいながらも、島の空気のようなものに、まだ包まれてる気がする
きっとそれは、帰路の船で浴びた荒波の潮の香りのせいだろう

この美味しい焼きめしを食べさせてくれるお店は
この街で50年以上営んでいるそうだ

東京から、関西から、軍艦島へ流れ着く者たち
その軍艦島から、逃げ出した者たち
そして軍艦島で昭和の青春を過ごした者たち

ここで、この美味い焼きめしを食べただろうか
その時は、どんな味わいだったろうか

そんなことを思いながら
小さな旅だけど、時を超えた余韻に浸った

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コメント

コメント一覧 (2件)

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    1972年、私の青春時代と重なります。
    何もなく、しかし何でもあったような気のする時代。
    こんな人も人もいた…のがよくわかります。
    しかし、福神漬けの赤が凄いですね(^^ゞ 0

  • SECRET: 0
    PASS:
    palletさん

    >何もなく、しかし何でもあったような気のする時代

    なんとなく分かるような気がします
    1972
    浅間山荘事件のあった年なんですよね
    ひとつの時代が終わり、新たな波がやって来る前
    そんな感じでしょうか、いろんな意味で私の好きな時代です。
    ちなみに炒飯には紅生姜派です^^
    0

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