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私たちはいつ日本人になったのか「小学校 それは小さな社会 」


正月休みに銀座のミニシアターで観た映画について記す
映画「小学校 それは小さな社会」
その映画は完全なドキュメンタリーだった
そこには演出はいっさい無く、ドキュメントにありがちな字幕による説明も
インタビュー形式の会話も無い、イントロダクションとエンドロールを
除けばBGMさえも無い、まさに完全なドキュメンタリーフィルムだった
「私たちはいつ、どうやって日本人になったのか?」これが映画の主題である
監督の山崎エマさんは、自身の父がイギリス人、母が日本人のルーツを持ち
子供の頃を日本で過ごし、その後海外で成長し大人になって行く中で
「なぜ日本人は?」と問われ続けることに困惑することになる
それは、なぜ日本人は協調性が高いのか、なぜ日本人は勤勉なのか
なぜ日本では電車が時間通りに到着するのか、、、などなど
そのWhyについて、山崎さん自身でも考え続けた結果導き出された答え、それは
すべての日本人は小学校で学んだ「規律と責任」が根付いているから、だった
この着眼点はなるほど!と頷かせるものがあり、共感させられるものでもあった
その日本の小学校がどのような教育をしているのかドキュメントとして記録
したものがこの作品だ
舞台である小学校は、世田谷区のある公立小学校、そこでのべ4000時間もの
撮影が行われた記録から、4月に入学しやがて二年生の春を迎える新一年生と
卒業を迎える6年生の子供たちにフォーカスされていて
コロナ渦の一年間を追いながらのストーリーとして成り立っている
記録の中では、入学したての子たちが自分たちで教室を清掃し、給食の配膳をし
幼いながらもお互いが協力すること、お互いを思いやることを学んでゆく姿
コロナ渦の非常事態宣言によって楽しみにしていた修学旅行の中止を告げられても
それをただ淡々と受け入れる6年生たちの表情など
そこには良くも悪くも日本人になって行く過程を垣間見ることが出来る
次の新一年生を迎えるために、入学式の演奏会オーディションに自ら手を挙げ
そしてはじめての挫折を経験し、みんなの前で涙を流してしまうAちゃん
最後の運動会の演目である縄跳びができなくて悔しい思いで毎日一人練習するK君
一年生も6年生も自分で努力すること、自分に責任を持つことを学んでゆく姿に
言葉では現わすことのできない感動を覚えてしまう
その姿は学校である以上、ある意味では当たり前の姿ではあるのだけれど
その当たり前が日本人たる姿であることを再認識させられてしまうのだ
そして要所要所にインサートされる何気ない日常のカット
踵がきちんと揃えられた靴箱
右側通行であることを示す廊下の矢印
真っ白で清潔そうな子供たちのエプロン
誰一人いない早朝の教室で、先生が黙々と横一列に揃えてゆく机の脚
そこかしこに漂う「規律正しさ」に、日本人が作られる場所であることが伺える
ただ、この小さな社会には残酷な厳しさもある
みんなで一つになろう、きちんとしよう、努力しよう、そんなふうに
決められた「規律正しさ」のフォーマットに付いて行けない子もいるはずだ
その子たちは落ちこぼれのような存在になったり
果てはいじめの対象になったりしてはいないだろうか
子供たちは、そうなることをいつの間にか知っていて、だからこそ
必死で(みんな)に付いて行こうとしてるのではないだろうか
そんな息苦しさを覚えたのも正直な感想だ
でも、だからこそ
オーディションに落ちて泣く子の背中を撫でて慰めてあげる子
希望した係に落選して落ちこむ子に自分の係を譲ってあげる子
誰かが上手にできたことを我がことのように飛び上がって拍手してくれる子
そうやって小さな社会で懸命に生きながらも手を取り合って成長する子どもたちの
その姿に美しさと尊さを感じるのだ
BGMも無いと記したが、実はずっと流れていたBGMがあった
それは教室や体育館の静かなざわめき、黒板をなぞるチョークの音、校舎に響くチャイム
そして子供たちの笑い声だ
その、くすぐったいほど懐かしきBGMは映画を観終わった後も
美しく尊い子供たちの姿とともに心地好い余韻として残るものだった
どうか、この小学校でかけられた素敵な魔法がいつまでもとけませんように

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